◇中森晶三のページ◇
中森晶三は平成20年2月8日、死去しました。79歳でした。
生前のご厚誼に深謝申し上げます。
47歳の頃の胆石手術の輸血のためC型肝炎→肝臓癌となりましたが治療を続け
平成20年1月の県民能の解説も務められる程元気で、まだまだ後進の指導に意欲を見せておりました。
神奈川新聞の記事が中森晶三の履歴をよくまとめてくれていましたので
ここにその記事を抜粋して載せさせていただきます。
鎌倉能舞台や薪能の創設に尽力した鎌倉市在住の観世流能楽師で、神奈川文化賞などを受賞した中森晶三(なかもり しょうぞう)さんが八日午後三時五十三分、敗血症のため茅ヶ崎市内の病院で死去した。七十九歳だった。 能楽との出会いは、敗戦の一九四五年。次第に世襲システムの閉塞感を痛感し「このままでは能が滅びる」と主婦や学生も楽しめる能の魅力づくりに努めた。「解説付き公演」を発案。五九年からは県内や都内の中学校・高校を巡り約三百回の公演に挑む。三十万人を超える生徒に舞台を見せるなど、能のすそ野を広げる努力を生涯続けた。 九二年、文部省地域文化功労賞。二〇〇〇年、神奈川文化賞を受賞。著書に「能のすすめ」など。 |
中森晶三 履歴 |
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昭和3年3月6日−平成20年2月8日 |
職名 |
能楽師 (観世流シテ方準職分) 日本能楽会会員 |
学歴 |
旧制第一高等学校理科甲類卒業 |
主な活躍 |
昭和34年 鎌倉能の会主宰 |
1 |
34年 鎌倉薪能創設に参画 演出・主演をする |
1 |
同年 学生鑑賞能を始める 現在までに約300公演 30万人の中・高生に能を見せる |
40年 映画「能」制作主演 芸術祭奨励賞受賞 | |
1 |
43年 二松学舎大学講師となり 20年間勤務する |
1 |
同年 あさば饗宴能創設 演出 主演 |
1 |
45年 財団法人鎌倉能舞台認可となる |
1 |
同年 相模薪能(寒川神社)創設 演出 主演 |
46年 鎌倉能舞台落成する 「県民のための能を知る会」を開始 | |
50年 平塚神事能創設 平成5年まで 演出 主演 | |
56年 八王子(子安神社)薪能創設 演出 主演 | |
57年 文化庁重要無形文化財認定 | |
58年 つくば科学博500日前エレクトロニクス薪能上演 | |
60年 つくば万博ハイテク薪能(エキスポホ−ル)上演 | |
同年 ユニバ−シア−ドエレクトロニクス薪能(神戸ワ−ルドホ−ル) | |
61年 大自然薪能(ホテルアルファトマム) 神南の森薪能(都グリーンフェスティバル) | |
62年 厚木森の里薪能 他に新宿住友ビル薪能 広島城薪能 | |
63年 仙台市制100周年「月光の宴」薪能 | |
平成 2年 神奈川県サ−フ90’真鶴薪能 越前大仏薪能 青梅市制40周年薪能 | |
3年 都立大学講師(5年間) 箱根薪能 いま泉薪能 | |
4年 まほろば唐松城薪能 前橋市制100周年薪能 | |
6年 TAMAらいふ21’薪能 | |
7年 大和薪能 鎮魂薪能(広島原爆50年) | |
8年 世界詩人会議薪能(前橋) | |
他多数の薪能、会館能を手がけてきた | |
賞罰 |
昭和48年 鎌倉市制功労者表彰(鎌倉薪能 舞台建設) |
1 |
61年 神奈川県民功労者表彰(能普及) |
1 |
平成 4年 文部省地域文化功労者表彰 |
1 |
7年 厚木市教育文化功労者表彰 |
1 |
12年 神奈川文化賞受賞 |
主な著書 |
玉川選書「能のすすめ」「能の見どころ」「けいこと日本人」「能の知恵」「鎌倉薪能」 東方出版「能のデザイン図典」 毎日新聞社「能が今教えてくれること」 たちばな書房「能の物語再発見」 写真集「道のあと」(上毛新聞) デントーアート「孤軍奮闘の能楽人生一代記 中森晶三」 等 |
昭和34年10月10日第一回鎌倉薪能。「小袖蘇我」写真。中森晶三/鈴木一雄/足立礼子 「薪能」の再興をはかり、鎌倉での薪能開催に心砕いていたとき、当時の観光協会長大島徳郎氏の同意を得て、鎌倉カ−ニバルにかわる観光行事の目玉として、演出をまかされた。家元級の出演をという要請のもと金春流家元に出演願い、第20回まで演出・出演をしていた。 |
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レ−ザ−光線とエレクト−ンの演奏を入れた、エレクトロニクス薪能。派手な演出で、大観客にも喜ばれた。 | |
今では定番となった「解説付き公演」も中森晶三の発案。昭和46年9月11日に「能を知る会」という名称で始めました。 | |
親子孫3代での仕舞 |