能舞台

1-能舞台の特徴

 能舞台が他の演劇のステ−ジといちじるしく異なる点は、第一に幕が無い事。第二に舞台が観客席の中央に大きく張り出していることです。

 普通、演劇の舞台には幕があります。幕は、舞台を観客の目から遮る役目をします。幕の陰で背景や大道具を出し、その劇の時代、場所、時間を視覚的に観客に見せ、劇の筋立てを理解させるという、大事な役割があるのです。

 ところが能には幕がありません。囃子方、地謡方が舞台に現れる、その瞬間から能は始まります。そして場面ごとにいちいち幕を引いて背景を変えたりせず、同じ場面のまま、観客の想像力を頼りに、時代も場所も移り変わっていくのです。

 普通の演劇のステ−ジは「額縁舞台」と言われるように、間口を広くとって、観客席から舞台が平面に見えるように作られています。額縁舞台には幅の制限がないため、横方向の動きがよく見える反面、前後方向の動きや奥行きの動きが見せづらいのが欠点と言われています。

 能舞台は、観客席の中央に大きく張り出した四本柱に囲まれた主舞台と、楽屋との通路を兼ねた橋懸(はしがかり)と呼ぶ花道のような第二舞台から成り立っています。 そのため「額縁舞台」に比べ、立体感を感じる事が出来ます。

 橋懸に後退角を付けることによって幕と観客席との距離を稼ぎ出し、さらに途中に置いてある三本の松(舞台側から一之松、二之松、三之松と呼ばれる)を、舞台側から段々小さくすることによって、更に遠近感のある、前後方向の動き=奥行きの感じられる立体的な舞台となっているのです。

 舞台の材質は檜で、厚さ一寸八分以上。幅一尺以上。長さ三間余りの無節の板は今では非常に入手が困難になっています。(少し前までは同じ大きさの虎屋の羊羹と同じ値段と言われていました。)

 実際には現代の空調設備の整った舞台では表面に檜を貼った集成材の方が狂いが少ない(檜の物は新しい舞台も数年で軋むほどです・・)と言われていますが、足拍子の音などは微妙に違うようです。

 しかも集成材には堅い物が多く、役者の側からすると、やっぱり本檜の古い舞台の方が、正座していても足の痛くない分、良い舞台だと言うことになります。

2-能舞台の構図

(舞台の図面図がこちらにありますので、参照してください。)

 (1)舞台・・俗に3間(5.4メ−トル)四方とされるが、京間(柱の内法)、標準間(心心)、田舎間(外法)の差があります。

 (2)後座(あとざ)または横板・囃子座・・囃子方、公演のスペ−ス。奥行7尺(2.1メ−トル)から9尺(2.7メ−トル)あります。

 (3)地謡座・・庇がかかり、欄干がめぐらされている。地謡の他、ワキ方が一時くつろいだりします。

 (4)橋懸(はしがかり)・・長さは自由(3間〜7間)、幅も8尺(2.4メ−トル)から6尺(1.8メ−トル)といろいろです。両側に欄干を持ち、途中2本の中柱がある。舞台に対する角度は20度〜35度くらい。通路でもあり、第二舞台でもあります。 床は檜材。厚さ1寸八部以上。長さ3間余の無節の板は上でも述べたように、今日大変な貴重品です。床は束(つか)がなく、三間かけ渡し、太鼓の一枚革のようなのが理想で、振動を止めないように根太を尖らせてあります。床下に甕が10個内外置いてあり、不快な低音を消します。 舞台、橋懸の床は俗に「撥転ばし」といわれる傾斜がつけてあり、登場の時はしっかり、幕に引くときは軽くという配慮の他、遠くで小さく、近づくにつれ大きく見える効果もあります。3本の松もこれを助けます。

 (5)幕口(揚幕)・・楽屋(鏡の間)との区切りで高さは9尺以上。幕の色は緑、赤、紫、の3色が基本となっているが、それに白と黄色を加えた5色幕のものも多くあります。

 (6)目付柱・・演技の目印として大事なのでこの名がついています。角の柱とも、単に「角」ともいいます。

 (7)ワキ柱(大臣柱)・・ワキが常にこの柱の側に位置するところからこの名があります。大臣はワキ方の代表的な役の一つなので、別名を大臣柱ともいいます。

 (8)シテ柱・・ワキと対角線の位置にシテが位置することが多いのでこう呼ばれます。演技上目付柱と並ぶ大事な目標となります。

 (9)笛柱・・囃子方の先頭、笛が座を占める近くなので笛柱と呼ばれます。道成寺の鐘の引き綱を留める環がついています。

 (10)白州梯子・・正面に掛かるこの小梯子は、舞台から落ちた演者の救急用にもなります。もともとは、将軍家の催しで若年寄がここから上がって開演を命じたり、引き出物を与えたりするために付けられていたようです。

 (11)鏡板・・不変の背景として老松の絵が描かれます。神が松を憑代(よりしろ)として現れた神木(影向の松−ようごうのまつ−)を象ったもの。「久」の字を裏返して逆さに立てた形の枝ぶりにするという口伝があります。笛柱側には竹の絵を描きます。舞台の後の地面から生えている心なので、ともに根は描きません。松葉目という呼称は歌舞伎の言葉です。

 (12)切戸口・・竹羽目の奥にある引き戸。地謡が出入りします。また、切られ役がここから引く事から俗に臆病口ともいいます。

 (13)貴人口・・切戸はかがんで通るが、ここはふつうの高さの開き戸。今は実際には使われていません。

 (14)後見柱(狂言柱)・・これを挟んで舞台側に後見、橋懸側に間狂言が座ります。

 (15)白州・・舞台が野外にあった名残で、玉石または白砂を敷き詰めてあります。橋懸の両側に松を植え、舞台に近い方から順に一の松、二の松、三の松と呼びます。

3-能舞台の構図2

「柱」
  能舞台は周りを4本の柱で囲まれています。

 よく観客の方から「目障りな柱を何故わざわざ立てるんですか?」と聞かれます。 これは能面を付けるとほとんど自分の真正面しか見えないので、柱を見て、自分がどこにいて、どっちの方に向いているかがわかるための必須の物と言えます。

 また、日本人の美意識に「はっきり全部見えるよりも物陰から見え隠れした方が綺麗に見える」という考え方があるためでもあります。 日本庭園を思い浮かべて下さい。座敷の窓から満月が見えます。雲一つない空に月だけがドーンと見えるのと、庭にある松の枝越しに見え隠れする月。どっちが粋に見えるでしょうか?

 このような、粋に見せるための松の枝のことを「障りの枝」(さわりのえだ)と言います。芝居や講談などで「一寸障りの部分を聞かせて・・」というのもこの造園用語から来ています。 能楽堂でも「通は中正面が一番イイ席だ!」と言う粋な方も結構いらっしゃいます。

「鏡板」
 能舞台には後ろに松の絵が描かれている羽目板があります。一般の方は「松羽目」(まつばめ)とおっしゃいますがこれは歌舞伎の用語で、能では「鏡板」(かがみいた)と呼ばれます。

 なぜ松を書くのか?これには色々な説がありますが、もともと能舞台は野外の大きな木の下に作られていました。昔から大木には神が宿ると信じられていて、舞台を守っていただくという考え方もありました。しかし季節で葉が散ったり、毛虫が落ちてくるのでは演技ができませんし、一年中色の変わらない松の木が好んで使われていたようです。

 特に江戸時代になってからは、徳川家の本姓が「松平」であったこと、松と竹は他の植物を松ヤニや根っこで枯らして自分たちだけが群生するということ。 これらが封建時代の武士にとってもっとも理想的な姿であったために、松と竹はめでたい木として扱われ、鏡板と切戸の周りに描かれるようになったと言われています。

 中には横浜能楽堂の鏡板のように梅が一緒に描かれている物もあります。

 基本的な構図としては、漢字の「久」の字を逆さまにした形と聞いています。(舞台の後ろから日が射したときに舞台の上に「久」の字が浮かび上がる) 


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