能面

1-能面1・導入編

 能は「仮面劇」と呼ばれ、ギリシャ悲劇と対比されます。

 しかし、三人の立役・十五人の合唱隊全員が仮面を付けるギリシャ劇とは違い、能を構成する諸役のうち、ワキ方・囃子方・地謡・後見・子方は、絶対に能面をつけません。

 主役であるシテも「現在物」(=舞台上が全部同一時代人で統一されている曲)の時は能面をつけません。

 それなのになぜ能は「仮面劇」とし世界的に認知され、現代まで伝えられてきたのでしょうか。

◆仮面とは
 原始宗教において祭司や霊媒であった巫女に神が乗り移り、狂おしく舞う−これが舞踊の始まりであり、芸能の起源でありました。その巫女が、素顔のままでは神秘性に欠けるため、顔を覆い自他共に神だと納得するための道具、それが仮面なのです。

 最初は単に顔を隠せればいいだけの簡単な物だったのが、巫女が神に変身するためにはそれ相応の顔をしていた方が良いと、擬人化された表情の面が作られ使われるようになったと考えられます。

 神は人に祟る恐ろしい存在であったことから、恐ろしい顔の面が一番先に、ついで一族の長であり知恵袋として崇められた老人の面、そして男が女神に扮するための美女の面の順ではないかと思われます。

◆演劇の進化
 その後人知が進化し、演劇が宗教行事から娯楽の対象に変わってくると表情の固定した仮面では様々な人間感情を表現するには物足りなくなってきました。そこで顔に化粧をして役を勤めるようになるが、今度は若い女性の役は若い女性が。老人の役は老人がと言う風に限定されてきました。化粧とは自分が他の性格に変身するための手段で仮面の一種なのです。

 しかし能ではその仮面をいまだに捨てずに使っています。これが「能という原始芸能」と外国の古い演劇教科書に書かれた原因なのですが、実は能面は世界の仮面に例のない傑作で、人間の顔以上の表現力を持っているために今なお使われていると言うことなのです。

2-能面2・表現力

 それではその能面の表現力についてお話ししていきます。「若女」と言う能面を例にします。画像はこちらにあります。

◆正面
 能面を真正面から見たとき、いわゆる「能面のような顔」と称される「無表情な」顔になります。この角度は舞台上では使ってはいけない角度になるのです。能役者にとって、「真っ直ぐに向く」とは、若干下向き加減の角度を指し、現代の能楽堂ではかなり後ろの席を目標に決められています。

◆曇らせる
 面を下に向けることを「曇らせる」と言い、憂い顔・泣き顔の表情を表します。

◆照らす
 逆に上に向けると「照らす」と言って明るい表情・微笑みを表し、角度を付けることによって遠くを見つめるようにも見えます。

 よく洋画の女優さんなどで笑っているのにべそをかいているように見えたり、泣いているのにニヤッとして見えることがありますが、能面を掛けた場合にはそう言う表現の曖昧さは絶対に出ません。

◆表情の秘密
 この表情の秘密は面の構造にあります。女面の場合、額が広くて上瞼が出ており、口はかなり受け口になっています。こうすることによって、下を向けると瞼が被って目が閉じて見え、口も閉じて額が目立つので表情が暗くなります。

 また、逆に上を向けると目と口が開いて、頬がゆるんで笑っているように見えるのです。
 能面の作者の方に聞いた話ですが、女面の目は四角に穴が切ってありますが、この穴を台形か平行四辺形にして、左右両眼について全部の辺が一点で結ばれないとやぶにらみの表情の面が出来てしまうそうです。

3-初番目脇能物

 曲の番目に沿って能面を紹介していきましょう。最初は初番目脇能物です。画像はこちらにあります。

◆前シテ
 基本は「神様の顔」ですが、前シテは老人が圧倒的に多いのですが、「賀茂(かも)」、「呉服(くれは)」などのごく一部の曲では女面をかけます。

 老人の顔としては『小牛尉(こうしじょう)』や『三光尉(さんこうじょう)』という面がよく使われます。

 老人の顔の中でも、いかにも引き締まった、神様らしい品格が求められ、この面を使うときは謡も、下の句の運びが良い、颯爽とした風情が求められます。

◆後シテ
 後シテの神様には色々な顔があり、「絵馬」や「呉服」には「増(ぞう)」と言う女面が使われます。この面は色々な用途に使われますが、きつめで、いかにも神がかった表情の物が脇能には用いられます。

 「高砂」や「難波(なにわ)」のような若い男の神には『邯鄲男(かんたんおとこ)』を掛けますが、「高砂・八段之舞」や「養老・水波之伝」と言った小書が付くと『三日月』のような、より強い表情の面に変わります。

 「賀茂」や「嵐山」などの力神系のシテには『大飛出(おおとびで)』を使います。これは蔵王権現等のスケールの大きい神の役柄で、口を大きく開け目を見開いた顔で、赤頭に袷狩衣といった出で立ちで悠然と現れます。

 「老松」や「白楽天」と言った老人の神には『皺尉(しわじょう)』や『石王尉(いしおうじょう)』が用いられます。

 また「道明寺(どうみょうじ)」や「白髭(しらひげ)」等の力強い老人を「悪尉物(あくじょうもの)」と言い、『茗荷悪尉(みょうがあくじょう)』や『鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)』の面を使います。

 同じ老人の顔でも「悪」と付く面はかなり強烈な顔をしています。この「悪」と言う字の意味は「悪い」では無く「強い」なので、この面を使う曲は一番パワーと気力がいります。物凄く抑えた調子でテンポもゆったりなので時間も掛かりますし、滅多に出ないので気も使います。

4-二番目修羅物

 画像はこちらにあります。

◆前シテ
 前シテは女性をシテとする「巴」以外は、能面を掛けない「直面物(ひためんもの)」か老人になります。

 ただ脇能と違って討ち死にした武将の仮の姿なので、同じ老人でも『笑尉(わらいじょう)』や『朝倉尉(あさくらじょう)』等の面になります。

 笑尉は『小牛尉』と比べると目尻がやや下がっていて、悪く言えば品のない顔をしていますが、これは五番目物の老人にも多く使われるので、イメージとしては「地獄の亡者」の方が合ってるかも知れません。

 朝倉尉は逆に、いかにも武将らしい強さを持った面で、「屋島」等のツレを伴った修羅物としては格のあるシテに使われます。

◆後シテ
 後シテは若武者に使う『十六(じゅうろく)』や『今若(いまわか)』を使います。これは「敦盛(あつもり)」や「朝長(ともなが)」と言った、十代で討ち死にした武将の顔です。

 平家の公達用には『中将』があり、「清経(きよつね)」や「忠度(ただのり)」等に
使います。この面は「在原業平」をモデルにしたと言われ、三番目物の「雲林院」や「小塩(おしお)」にも使われます。

 勝修羅(かちしゅら)の「屋島」「田村」「箙(えびら)」には『平太(へいた)』が使われます。この面は平家の「公家」に対しての源氏の「武士」と言った違いを表すように、表情が強く、口の回りに髭が濃く書いてあるのが特徴です。

 唯一の女物「巴」。この曲はシテの好みで普通の女面を使う時と、『十寸髪(ますかみ)』と言う髪を振り乱した狂乱の様相の面を使う時があります。

 あくまでも義仲との別れに重点を置くか、女武者として敵と渡り合った場面に重点を置くかで使う面が変わり、当然謡い方も型も使い分けるようになります。

 これらの能面はシテがどういう演出をするかで変わってきます。一応の目安は決まっていますが変わった装束を選んだり、特殊な演出をするために全く違う種類の面を選んでいるのも拝見したことがあります。

ようするに化粧と同じ事ですから、この曲には絶対にこの面とあまり画一的にならずに、自由な発想で使って良い時代になってきているようです。

5-三番目鬘物

 三番目鬘物に使う面からご紹介していきましょう。画像はこちらにあります。 

◆女面
 女面には多くの種類があり、役柄や身分、年齢などによって使い分けられています。
年齢的には10代「小面(こおもて)」、20代「若女(わかおんな)」「孫次郎(まごじろう)」、30代「増(ぞう)」「曲見(しゃくみ)」、40代「深井(ふかい)」、老人「姥(うば)」「老女(ろうじょ)」等があります。

 また、同じ面でも顔つきは千差万別。気位の高そうな顔もあれば、田舎臭い感じの顔の面もありますから、使う役者の感覚や好みで面は選ばれます。

◆写し
 「本面(ほんめん)」と呼ばれるオリジナルな能面は本来一つしかありません。同じ名前の面はいくらでもありますが、それらは「写し」と呼ばれる『盗作面』です。盗作というと聞こえが悪いですが、昔は本面を手に取ってみられる機会などは皆無に等しく、せいぜい隣の部屋の床の間に掛かっている面を遠目に見てる位しかできませんでした。

 ですから本面とは似ても似つかぬ面が多く存在しますが、それらの中には本面を凌ぐ評価を得た面も数多くありますし、役者の好みで違う用途に使われることもしばしばです。

◆シテと面
 能役者がシテを舞うときには、まず、自分が使う面を決めて、それに合わせた演出を考えます。例えば「羽衣」を例に取ると、能面は「小面・若女・増又は深井」と表記されています。要するにどの面を使っても良い、と言うことです。

 シテは自分がどんなタイプの女性を天女にするかイメージを固め、面を選ぶことになります。

 小面なら清純な少女を。若女なら一寸色気のある美人を。増なら気位の高そうで上品な女性を。深井なら(滅多に見ませんが)少々年配の愁いがある女性を。と言う具合です。

 選んだ面に合わせて、謡の調子や型を考えていきます。ただあくまでシテの考えたイメージですから、周りの人間が皆同じように感じるとは限りません。申し合わせをすると周り面と謡があっていないと指摘されることもあります。

 また逆に、面の所有数の少ない家だと、曲に対する演出が限られ、その面に合わせた演出しかできないということもあり得ます。

6-四番目現在物

 画像はこちらにあります。

 四番目物の中でも「現在物」は、能面を掛けない曲が多いのですが、逆に、その曲にしか使わない「専用面」と呼ばれる面が使われる曲があります。

 「俊寛(しゅんかん)」「弱法師(よろぼし)」「蝉丸(せみまる)」「景清」などの曲の面で、盲目の人間の顔が多いようです。素顔で出て、目をつぶって演技をするわけにはいかないために考えられた面なのでしょう。

 また、「歌占(うたうら)」は、普通は直面ですが、曲中に「見申せば 若き人にてそふろうが」と言う文章があるので、年配の役者が勤めるときは「邯鄲男(かんたんおとこ)」等を掛けて、若い顔を演出することがあります。

 「景清(かげきよ)」では、髭がある面と無い面があって、それぞれに決まり事で使い分けます。

 髭がない面の時は、装束が「着流し」になり、作り物の中で舞台に直に座ります。髭がある時は、装束は「大口姿」になり、作り物の中で床机に掛けます。

 これは髭無しの時は、乞食となって衰え果てた景清の哀れさを強調するし、髭ありの時は、あくまでも平家の侍としての武骨さを前面に押し出すという考え方のためです。

7-五番目・切能物

 画像はこちらに 2枚あります。

◆神に近い役の面
 切能は一般的に「鬼畜物(きちくもの)」とも言われますが、「融(とおる)」「須磨源氏」「玄象(げんじょう)」と言った殿上人をシテとする曲や、「海士」のような「龍女」の曲もあります。

 殿上人の三曲は、前シテが「笑尉(わらいじょう)」や「朝倉尉(あさくらじょう)」、後シテが「中将」になります。これらは二・三番目物で写真を載せていますので、そちらをご参照ください。

 海士は、前シテで「深井」や「曲見(しゃくみ)」という年配の女性の面を使い、後シテで「泥眼(でいがん)」を使います。この泥眼は、目に金色(金泥と言います)の入った女面で、葵上や砧のシテにも使います。

 また「春日龍神」や「張良(ちょうりょう)」に出てくる龍神には「黒髭(くろひげ)」を、「舎利(しゃり)」や「大会(だいえ)」に出てくる韋駄天や帝釈天等の力神には「天神(てんじん)」の面を使います。

 目に金が入っているのは『この世の物でない』と言う証で、鬼や天狗・幽霊の面は必ず金入りです。(尉面や中将の目には金は入っていません)

◆鬼女
 葵上といえば「般若(はんにゃ)」の代表曲です。般若と言う面は、「赤般若」「白般若」「黒般若」と三種類あって、怒りが最も表面に出た赤が「道成寺」専用。宮中の女性としての品を残した白が「葵上」専用。陸奥の鬼婆としての強さを表す黒が「安達原」専用となっています。

 道成寺の場合は「赤頭」の小書が付くと「真蛇(しんじゃ)」や「泥蛇(でいじゃ)」と言う面に変わります。これはより強いイメージを出すのと同時に、赤頭を被ると面が赤だと色が付いてしまうためではないかと思います。

 今では「紅葉狩」にも般若を使うことが多いのですが、これは「鬼揃(おにぞろい)」と言う小書の時で、本来は「顰(しかみ)」と言う男の鬼の面を使います。

 この小書は明治になって作られた小書です。広い会場(当時の万博など)でやるのにシテが一人では寂しいので、前ツレを全部鬼にして後半にも大勢鬼を出す事から始まりました。ところが「顰」は基本的に一人しか使わない面で、一度に五つも六つも使うことはありません。般若ならどこの家にも数多くあるので、鬼を鬼女に代えて般若を使うようになったようです。

 この般若に似た面が「生成(なまなり)」です。これは「鉄輪(かなわ)」専用面で夫に捨てられた女が生き霊となって別れた夫と後妻を取り殺そうとする曲で、他に「橋姫(はしひめ)」と言う面もあります。まだ人間で鬼になり掛かった状態なので「生成」と言い完全に鬼になってしまった般若を「本成」と言います。今丁度「陰陽師」の映画をやっていて中に「生成」が出てきますが、昆虫のような顔つきで一寸イメージが違うような・・・。

◆べしみ物
 この他にも天狗物の「鞍馬天狗」や「善界(ぜがい)」に使う「大べしみ」。地獄の鬼「鵜飼(うかい)」「松山鏡」「昭君(しょうくん)」等に使う「小べしみ」。これは口を「へ」の字に結んでいることから「べしみ(字が出ませんでした)」と言われ、押さえた力強いイメージがあります。

 「長霊べしみ」は大盗賊「熊坂長範(くまさかのちょうはん)」の顔で「熊坂」と「烏帽子折(えぼしおり)」に使います。

 これに対して「小鍛治(こかじ)」や「殺生石(せっしょうせき)」に使う「小飛出(ことびで)」は軽快で切れ味鋭いイメージがあり、脇能に使う「大飛出」をスケールダウンしたような面で、「べしみ」が陰、「飛出」が陽の面とも言えると思います。

◆怨霊物
 鬼に対して「幽霊」になると「船弁慶」等に使う「怪士(あやかし)」や「通小町(かよいこまち)」「藤戸(ふじと)」に使う「痩男(やせおとこ)」があります。今までの面に比べるとずっと人間臭く、暗い雰囲気があり、「黒頭」の下に付けるために一層くらい表情に見える面です。似た顔の面に「一角仙人」に使う「一角仙人」と言う面もあります。なんとなく怪士の額に角を付けたような気がしてなりませんが・・・。

 老人の鬼という設定の「恋重荷(こいのおもに)」には「悪尉(あくじょう)」と言う面を使います。この「悪」と言う字は「悪い」ではなく「強い」と言う意味で、色々な名前の悪尉面があります。ただし滅多に出ない曲ばかりなので、舞台で見る機会は非常に少ない面でもあります。

 この番目の専用面としては前述の「生成」の他に「山姥」や「獅子口(ししぐち)」などがあります。

 獅子口は「石橋(しゃっきょう)」の後シテで文殊菩薩の愛獣である獅子の面で、能面の中で最も大きく、重い面です。これを掛けて頭を振るというのはかなりな重労働で、初めてやるときには稽古の段階でむち打ちのようになってしまうことも珍しくありません。

8-最終篇

 画像はこちらにあります。

◆能面は「面紐」と言う組み紐を頭の後ろで結ぶことによって顔に固定します。紐の色には黒・白・赤・浅黄・樺(かば)等があります。色の使い分けは翁や白頭を使う場合は白、笑尉や朝倉尉等の尉面は浅黄(白の家もあります)、赤頭の時は赤(獅子と猩々乱のみ赤の家もあり)で、それ以外の女面や中将、十六等は黒になります。

 面紐には端に「ち」と言う輪が付いていてそれを面の穴に通し、そこに紐をくぐらせて留めていますが、面に「耳」がある物は「こはぜ」と言う木の軸に和紙を巻いた物を使って面紐を固定します。

 面紐は一つの面に一組ですが、「石橋(しゃっきょう)」に使う「獅子口」には穴が片側に2つずつ開いていて、面紐を二組通して使います。これは頭を振ったときに万一一本が切れても、面が飛ばないための用心です。

◆面紐の結び方にも何通りかの結び方があり、使い分けをしています。

 女面等は鬘帯の上で紐を結ぶため「結びきり」にして鬘帯から結び目が出ないようにしてあります。

 黒頭等を使う場合は結び目は見えので「大とんぼ」と言う蝶結びにします。

 尉髪は結び目がはっきり見えるので小さめの蝶結びにして「小とんぼ」と呼ばれます。

◆面紐は主後見が結ぶのが原則で、最初は軽く結んで「おあたり」とシテに聞き、上から段々下げていき、シテが「はい」と言ったらそのまま「お締まり」と答え、紐を強く結んでいきます。さらにシテに「はい」と言われたら、そこできちんと結びます。

 紐のあたりの位置は人によって大きく違うので、後見は鬘を結うときにもその人の癖を覚えておいてどの辺に結び目がくるかを考え、仕事をしています。

 女物の場合などは「下掛け」「鬘帯」「面紐」と三本の帯または紐が頭の横に走っているので、上手く角度を揃えないと見た目が変になります。

 私達が能面を使うときには「あて」(=クッション)を色々な大きさに作って置き、能面の裏にそれを貼って、自分が真っ直ぐに構えたときに面が良い角度に付くように調整しています。大抵は楽屋で後見に見て貰いながら「あて」の大きさを決めています。

 「あて」はビニールテープで表の裏に貼ることが多く、古い面の場合は彩色を痛めないように気を使って貼りますが、能の面の痛みの原因となることもあります。

◆面は耳の穴の所だけを持って、他の所にはさわらないようにするのがきまりです。そのため、その部分だけがどうしてもすり減ってしまい、そこから割れてしまう事も少なくありません。そのため割れた部分を漆で布を貼り治してある面もありますが、面をつけるときに強い力を掛けられないので、使いにくくなります。

◆能面の特別な使い方として、面を二面重ねて掛ける場合があります。

 「大会(だいえ)」と言う曲は天狗がお釈迦様に化けて出て、最後に正体が暴かれて帝釈天に追い払われると言う筋ですが、「釈迦」と「大べしみ」を重ねて掛け、最後に釈迦の面を外します。

 只でさえ見えないのが面が重なると更に見えなくなるため、下の大べしみは「釈迦下(しゃかした)」と言われ、釈迦の面と目の位置を揃えてセットとして作っておきます。

 「現在七面(げんざいしちめん)」が女面と般若を重ねて出る非常に珍しい演出になっています。

 唯一舞台上で面を着ける曲が「翁」です。シテは、千歳の舞の間に面を着け、舞を舞い、最後に「翁帰り」で面を外して、直面のまま幕に帰っていきます。


←BACK NEXT→ ↑に戻る
HOME(検索でお越しの方はこちらからtopにどうぞ)